年賀状

1990年

新年あけましておめでとうございます。
皆さんお元気でしょうか?
今年は一念発起して「年賀状をたくさん出そう」と決意しました。ところがカッコつけて新年の抱負なんかを考えるものですから頭の中はこんがらがり、酒を呑むから訳がわからなくなり、そろそろ正月も終わりです。
わが家の暮しも、電気のなかった10年前から、冷蔵庫・洗濯機・電話・自動車・トラクター・コピーマシン・パソコンなど(ほとんどが中古品かもらったもの)に囲まれた現在へとずいぶん変貌してしまいました。
まあそれでも東京の高校生によると『20年前にタイムトリップしたような暮し』で、これくらいで済んでいるのは、お金がないのが歯止めになっているからでしょう。
日本国中モノ中毒になってしまって大丈夫だろうか?
いつか日本国経済が破綻しようという時、最後の切札・軍需産業を拒否するだけの力は残されているだろうか?
近頃日常化してきた戦車の陸送やわが家の上空で演習する戦闘機・対戦車ヘリが不安感を増大させます。
環境問題・原発問題などなど考える事は山積みですが、輸入自由化といった農業つぶしも重要な問題です。今まで農業をそれなりに大切にしてきた事は経済至上主義に対する最後の歯止めになっていました。農家を助けてくれというのではありません。農業を切り捨て工業化社会一直線で進んでしまったらどうなるのかという事です。
文明のすべては否定できませんが、ほどほどという事があるでしょう。適当な不足があってこそ工夫・創造・人とのつながりが生まれるのだし、ありあまるモノに囲まれてしまっては喜びも少ないと思います。
まあそんな事をぶつぶつ考えながら元気にやっています。


1991年

1990年■合成洗剤を巧妙な手口で売るアムウェイ社と、そんな会社を急成長させた世の中の価値観に憤慨し、アムウェイと合成洗剤についてのチラシ配布(1月)と雑誌寄稿(5月)を行う。■「田舎の小さな卵屋が文句つけるような会社じゃないんです、アムウェイは。ガチャン」見知らぬ女性から電話をもらい元気がでる(11月)。■資金難となり、防貧思想から生まれたという世帯更正資金を100万円借入れる(7月)。 初めての借金も、消費税をちょっぴり取り戻した気分で嬉しい。■芳賀&宇井農場所有の車がバッテリー漏電により全焼 (10月)。 故障しているのに、収穫に追われていて修理しなかったのが原因。忙しいと心だけでなく車も亡くす。■ついに卵を値上げする(12月)。お客さん半減も覚悟していたのに93%の人が引続きつきあってくれるという事に感激する。■反核・反原発ピースサイクルに参加(9月)。旭川まで交代で自転車に乗る。■そして旭川で信号無視(車)の切符を切られる。腑に落ちないので正式裁判を受けることを決意。検察庁で事情聴取されるが(12月)、不起訴になる可能性が大で拍子抜け。■卵(120%)・野菜(160%)の生産量が増え、スモークチキンの販売も順調。収支が辛うじて黒字(2万円)になる。軌道に乗るまで、もう一息。■マキを集められず石油ストーブに。
■さて1991年はどんな年になるのでしょう。■怠け者の私が「田舎の小さな卵屋・野菜屋」を続けられるのは、待っていてくれる人がいるからです。それに今年は真面目に更正して借金も返して行かなくてはなりません。■意気地無しの私でも、長いものに巻かれるわけには行きません。■戦争・軍備も必要悪とする風潮に対しては、はっきりNo!と言い続けましょう。■便利さに溺れてしまう私だからこそ原発なしの暮しを望みます。■楽観しない。絶望しない。あせらない。■新しい年が、少しでもよい方向へと向かうように。


1992年

1991年■湾岸戦争・海外派兵・原発事故……いろいろありましたが、何をしたらいいのかわからずオロオロするばかりで半年が過ぎました。■新得には大手資本セゾングループによるサホロリゾートがありますが、敷地面積6倍という大拡張計画が公表され環境アセスメントが始まりました。■今度は身近な問題です。住民意見書提出(7月)・公聴会公述(8月)から第1回協議会開催(12月)まで、ずーっとリゾート問題に明け暮れています。■スタートはたった4通の住民意見書でしたが、協議会の呼びかけ人には42人の幅広い町民が名を連ねるまでになりました。■事業者からは「ローマ時代の衆愚政治のようだ」と評された協議会ですが、愚民で結構、民衆を甘く見たらどうなるか……■間接民主主義が民主主義として機能しなくなった時には民主主義の原点に帰ってみましょう。■わいわいがやがや町に活気が出てきました。日々の暮しに追われて集まる機会の少なくなった仲間が集まるようになり新しい仲間もたくさんできました。■組織の力より個人個人の考えを尊重すれば必ず混乱するでしょう。その混乱の中から何が生まれるか楽しみです。■本業の「芳賀&宇井農場」の方は、それなりに順調です。宇井さんにはずいぶん迷惑をかけましたが……■1992年■どんな結果になるかはわかりませんが、しばらくはリゾート問題で忙しいでしょう。■その後は、しばらくぼーっと放心していたいと思います。

※ 自分でも呆れるくらいリゾート問題にのめりこんでいるため、今年の年賀状は単調です。こんな年があっても、まあいいでしょう。


1993年

1992年■サホロリゾート拡張計画見直し・町政民主化など住民運動に明け暮れた一年でした。■環境アセスの知事答申(3月)に対して異議申立てを行なうが(4月)「審査意見書は具体的な法的効果を発生させないので処分ではない」と却下(6月)。アセスの問題点が浮き彫りになる。■佐幌岳のクマゲラ調査3回(4月)。山歩きの楽しさに開眼(?)。■「リゾートを考える全道交流集会」を新得で開催(7月)。■道のゴルフ場農薬データ非開示に対して異議申立て(8月)を行なう。道は公文書開示審査会の答申前に開示に踏み切り、異議申立ては「訴えの利益が無くなった」と却下(10月)。■「リゾート法廃止を求める全国集会」で11年振りに東京へ(9月)。■トマム拡張計画の環境アセス答申(11月)はサホロ答申よりは厳しい内容に。私たちの活動も少しは効き目があったかな?■新得町長が創作「クマゲラの里」を発表(11月)。私たちをモデルに歪曲した姿を描く。町長は「あくまでも創作」と謝罪しないため、名誉毀損で提訴(12月)。■そば焼酎「サホロ」の第3セクター新得酒造公社で粉飾決算と巨額負債が発覚(12月)。新得町の6億2千万円支援に対して住民監査請求を行なう。■1993年■諦めは禁物、力を持たない私たちにも結構いろんな事ができるようです。■町政を町民の手に取り戻すこと、残り少ない北海道の自然をこれ以上壊さないこと…まだまだ慌ただしい日々が続きます。■町長にも小説で「素晴らしい環境って、この家の中の方は、放ったらかしておいて良くいうわ」と書かれましたが、家の中が片付くのはいつになることやら…■本業の方も真面目にやらないとね。■こんな状況ですが、とりあえず元気です。今年もよろしく!


1994年

1993年■7月の町長選はとっても楽しく、とってもいい選挙でした。■「有権者の多くはこれを大差とは見ず、能登氏が有効得票数の22%に当たる1119票も獲得したことに、驚きを隠さないでいる。能登候補の陣営は、金も支持基盤も乏しく、表面で選挙戦にかかわった人数はわずか20人程度。まるで圧倒的に豊富な戦力をもつ政府軍に、銃で立ち向かうゲリラの構図に似ていた。にもかかわらず、四ケタ票を取った意味は深い。」(北海道新聞)、「健闘光った能登氏」「堂々と政策を訴えるクリーンな戦いは共感を得た。」(十勝毎日新聞)■町民の反応は5日間で大きく変化し、感動的でした。■町の雰囲気も、選挙前は役場臨時職員等の不当解雇(3名)や誹謗中傷(前町長の小説・議会だより)など圧力事件が相次ぐ最悪の状態でしたが、選挙後は随分と変わりました。■バブル崩壊はトマムの錬金術商法を破綻させ、多額の累積赤字を抱えるサホロリゾートも当面は拡張どころでは無いようです。■リゾート一辺倒だった町政にも変化の兆しが見えます。■住民運動に取り組んで2年半、踏みつけられていた民主主義の小さな芽がようやく顔を覗かせたように思えます。■1994年■訴訟を三件も抱えれば(前町長の中傷小説・第三セクター不正経理と町による赤字補填・ゴルフ場開発に関する公文書の一部非公開)訴訟マニア≠ニ言われても仕方がありませんが、裁判はとにかく時間のかかるもの、のんびり気長に取り組んで行きます。■この二年間、住民運動に没頭していて赤字続き(生活費含む)でしたから、今年こそ本業の農場経営の改善に取り組まないと大変です。■モノは増えるし、子供は大きくなるしで(4月に中一・小四)、本当に足の踏み場もない我が家ですから、整理整頓も一応一年の計≠ノ入れておきましょう。■こんな楽天家を、今年もよろしく! (^_^)


1995年

1994年■前町長の中傷小説「クマゲラの里」事件は1年半の審理を経て、裁判所による和解で終結(6月)。町長選以後、町の雰囲気も変わりつつあり、訴訟の意義も薄れたので「和解内容の非公表」に同意するが、実質勝訴で一件落着。■道相手の情報公開訴訟(ゴルフ場事前協議書)は、誰もが予期せぬ全面勝訴(10月)。道内では大きなニュースとなる。「弁護士をつけない本人訴訟は、まるで武器を持たない丸腰の兵が一人で敵の本丸に切り込み、落城させたのに等しい。」(十勝毎日新聞)…■新町長は、町村レベルとしては先進的(?)な「公文書公開に関する取扱基準」を策定(12月)。これを歓迎し、町にもゴルフ場事前協議書の公開を請求。「しかし町にすると、もし道に断りなく公開したなら大変な「報復」が予想され「…現時点での開示は難しい」と苦しい答え。」(北海道新聞)■3年半の出来事を「スキー場はもういらない」(藤原信編著・緑風出版・2884円)に執筆(20頁)。印税に目が眩んで引き受けたものの、悪戦苦闘の末、締切に4ヵ月遅れる。■芳賀&宇井農場は、天候にも恵まれて2年振りに黒字決算(生活費含む)。リゾートや第三セクターの経営破綻を問題にしていて、自分が倒産したら笑い話にもならないから、ホッ。■1995年■道の控訴で、情報公開訴訟はまだまだ続きます。自分たちのメンツを守るため、道民の財産を惜し気も無く使い、判決確定を引き延ばす役人には、ちょっと反省してもらうつもりです。■毎年宣言していながら、まったく実現しない「農場経営の改善」と「家の整理整頓」ですが、今年も高らかに宣言しておきます。■今年は、産直宅配便(野菜・卵・スモークチキン・乾ソバ…)をもう少し本格的にやろうかとも考えています。もしかすると、ダイレクトメールが届くかも知れませんが、よかったら、おつきあい下さい。■新年もだいぶ過ぎてしまいましたが、今年もよろしく!(95.1.5)


1996年

1995年■住宅増築を開始(5月)。未だ建築中ながら、子供部屋と作業部屋が一応使える状態になり、ついに「足の踏み場もない家」から開放される。屋根の板金工事以外は自分でやったので、現在までの総工費 122万円(12坪)。労力・知恵・道具・建材…、いろんな人の親切があって建った家、「さすが素人」の出来栄えにも愛着がある。■大工をするには、片付けないと仕事にならない。40才にして初めて片付けを覚え、散らかり放題だった部屋にも、少しは秩序が見え始める。■22年振りの高校クラス会に出席のため上京(7月)。「皆、変わらないね」と言ったら、「お前が一番変わってない」。楽しいタイムスリップ。■屋根裏部屋の壁の間にエゾモモンガ(リス科・滑空する)が生息しているのを確認(11月)。■情報公開訴訟控訴審・酒造公社不正経理事件は継続中。新たに「全面敗訴した道が弁護士に報酬72万円を払ったのは違法」と住民訴訟(4月)。こちらは全国から12名の弁護団。■「過去3年間の不正について調査・賠償せよ」と道に住民監査請求(11月・市川弁護士と)。道も仕方なく調査を約束。私は「一夜漬けの住民監査請求で数億円の仕事」とホラ吹いてる。■サホロリゾートの親会社・西洋環境開発は「5年以内にリゾートから撤退」を表明、ゴルフ場拡張計画も白紙に。リゾートに町の将来を託さないでよかった。■ダイレクトメールは一回しか出せなかったが、産直が拡がっていく。課題もあるが、評判は大体いいようだ。■1996年■大工仕事がしばらく続きます。■情報公開訴訟は春に高裁判決。やるだけの事はやったので、あとは高裁・最高裁の判断にゆだねるしかありません。■今年は産直に力を入れます。ダイレクトメールが届いても無理はしないでいいです。よかったら芳賀&宇井農場の農産物とお付き合いください。■今年もよろしく。


1997年

1996年■第1回SHINTOKU空想の森映画祭を開催(5月2〜6日)。会場の旧新内小学校は連日満員の大盛況。たくさんの観客・ゲストが新得の面白さに惚れてくれる。■町議会議事録のフロッピーディスクを公開請求(5月)。町はすぐに公開を快諾。北海道新聞によると、議事録のフロッピーでの公開は「聞いたことがない。初めてではないか」。勢いに乗って道議会にも公開を求めるが(6月)、よく分からない理由で拒否される。■高速道路・夕張清水線の環境アセスメントが始まる(7月)。意見書提出など行うが、国会議員のゴリ押しで審議会を通過してしまう(12月)。もう少し頑張っていれば…。■友人がパソコンソフト開発の仕事を回してくれる(9月)。在宅副業として今後も求職中。■インターネットにホームページ「北海道・新得町と情報公開/芳賀&宇井農場」を開設(12月)。議会議事録のインターネット公開は国内初らしく、北海道新聞が大きく取り上げてくれる。■毎年恒例の異常気象だが、芳賀&宇井農場は何とか平年作を維持。■1997年■1月12日、実行委・新得町・新得町教育委員会の共催で、薬害エイズに関する一人芝居を上演。数年前には考えられなかった協力関係だ。■1月31日、情報公開訴訟控訴審(一審は全面勝訴)の判決言渡し。その他に住民訴訟2件が継続中。気長に取り組んでいきます。■子供たちは4月に高1と中1。卒業式の日の丸・君が代問題に取り組むため、まず小学校の職員会議録を請求・入手したところ。■子供の成長と共に増えていく出費に何か対策を考えなくては…。かといって農場の規模拡大にも無理があるので、パソコン関係の副業を考えてます。何か仕事がありましたら、ご紹介ください。■一年間休止状態だった家作りも何とか再開したいものです。■芳賀&宇井農場は今年も産直(野菜・乾ソバ・卵・スモークチキン)に取り組みます。■今年もよろしく!(97.1.3)


1998年

1997年■道相手の情報公開訴訟は高裁判決でも実質勝訴(4月)。提訴から4年以上になりますが、あとは最高裁判決を待つばかりです。「本人訴訟で最高裁全面勝訴」だと言うこと無いのですが…。■何と、地方自治職員研修という月刊誌から原稿依頼がありました。「情報公開の先進地・新得町」について書いて欲しいということなので、新得町の良い面を、道庁の遅れている面と対比させて書きました。ちょっと褒め過ぎたかな。■町議補欠選挙(定数1)に立候補してみました(7月)。落選ながらも、1225人(有効票の25%)の支持にほっとしています。■畑の方は、風害・キツネ被害・芋の不作…とアクシデント続きでしたが、全体的には何とか例年を上回る収穫となりました。■養鶏の方は、道内生産者が増えるなど、ここ数年にわたって厳しい経営状況が続いています。いろいろと考えた結果、思い切って、16年間続けてきた卵屋を廃業し、新規事業に取り組む方針を固め、11月に鶏の羽数を半減しました。お得意さんから「本当にやめちゃうの?」と聞かれると決心もぐらつきがちですが、心機一転のチャンスと前向きに考えることにしています。■1998年■今年は野菜の生産量を増やし、さらに産直に力を入れたいと思っています。また、長年蓄積したパソコン技術をこの地で生かせるような仕事を作り出していくつもりです。とりあえずは幅広く何でもやってみるつもりですので、何か仕事がありましたら、ぜひ声をかけてください。■ご挨拶が大幅に遅れてしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします。(1998.1.11)

1999年以降、年賀状を出しそびれています。ごめんなさい。

HAGA's Web Site > 自己紹介 > 年賀状