"ヨソ者"が町民として認知された日

日本有機農業研究会機関誌「土と健康」No.266(1994年11月1日発行)より

"ヨソ者"が町民として認知された日

芳賀 耕一  

 昨年七月、新得町で十六年振りの町長選挙があった。五期二十年間、町長職を務めた佐々木町長が勇退し、新人同士の一騎打ちである。一人は佐々木町長の後継候補で前教育長の斎藤氏であり、町内のほとんどの組織と町議会議員二十名の内十九名が後援会に名を連ねていた。もう一人の能登候補はといえば、新得に入植して七年目という小規模な農家で、「無投票だけは何としても避けたい」との一念で立候補したものである。
 これだけ力に差がありながら、こんなに世間の注目を集めた選挙は珍しいだろう。「有権者の多くはこれを大差とは見ず、能登氏が有効得票数の二二%に当たる千百十九票も獲得したことに、驚きを隠さないでいる。能登候補の陣営は、金も支持基盤も乏しく、表面で選挙戦にかかわった人数はわずか二十人程度。まるで圧倒的に豊富な戦力をもつ政府軍に、銃で立ち向かうゲリラの構図に似ていた。にもかかわらず、四ケタ票を取った意味は深い。」(北海道新聞)、「健闘光った能登氏」「新得町はリゾート、酒造公社など第三セクターで活性化を目指すまちづくりにまい進してきた。その積極姿勢は評価されている面も多い。しかし、町民の生活、医療の点で果たして十分だったのか。能登氏はこの点を突き、堂々と政策を訴えるクリーンな戦いは共感を得た。」(十勝毎日新聞)…
 選挙前の二年間、私たちはリゾート一辺倒の町政を批判してきた。これに対し、行政や町議会議員は不当解雇(役場臨時職員等三名)や誹謗中傷など様々な圧力で私たちを抑圧し孤立させようとする。陰ながら応援してくれる人≠熨スかったが、ヨソ者集団∞過激派の残党=c、いろいろと言われてきた。
 町民の多くは「どうせ前町長や相手候補の悪口を言って回るのだろう」と思っていたようだが、私たちの目的はただ一つ、政策を訴え続けるだけだ。五日間の選挙期間中、町民の反応が刻々と変化していく。最終日には、あちこちの家々から人が外に出てきて応援してくれるまでになっていた。涙を流しながら握手してくれた人、遠くから深々と挨拶してくれた人、いつまでも手を振ってくれた人…。こんな感動的な場面に出会えるとは誰も予想していなかった。
 得票率は二二%に過ぎないが、私たちの掲げた政策は得票率をはるかに越えて町民に浸透した。新町政は私たちの政策を取り入れ、行政と町民の対話も始まった。
 大企業を誘致して雇用の場が増えたところで、地場産業が衰退し、自然が失われ、言いたいことも自由に言えない町になってしまったら、住民の幸せとは程遠い。何よりも、今住んでいる人々の暮らしを大切にすること、魅力ある自然環境を守り育てること、そして誰もが自由に発言できる雰囲気を作ることだ。町長選挙は、そんな町への大きな一歩になると思っている。

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